We dance@横浜

しばらくblogはお休みしたかったのだけど、さすがにネタが溜まりすぎ、Out putしておかないと、自分が良くない状態になってしまいそうなので、更新します。実はレイアウトも変更したり、ちょこちょこ不具合もあるので読んでくださる方にはアクセスしにくくて申し訳ないのですが、どうか長い目で見てください。
今日はダンサーの友人kalinさんが出演するwe danceを観にいった。
>>we dance
今、原研哉さんの『デザインのデザイン』を読んでいて、別の視点でも今回のお話とかぶるところもあり、私の中でオーバーラップしているのだけど、ここではダンスについてに留めておく。



中村恩恵さんの「Thousand way of kneeling」.
ダンス・コミュニティ・フォーラム「WE DANCE」のショーイングに友人のkalinさんも出演。90分という中で 踊りを創りだす過程そのものを見みることができた。またトークに建築家の北川原温さんが登場し、恩恵さんとの対談もあり、これもおもしろかった。
タイトルはRumiという人の詩からきたもので、大体直訳すると”ひざまずき方には1000通りある”。。祈りの目的は1つなのだけど、大地にキスする為の祈りの所作にはいくつもあるということ。
対談の中での恩恵さんによると、『心に何か”祈り”の身体までの行動に行かないものから、段々様々な祈りの形となって現れてくる。(それから発展して)それが身体を通して具現化される。(また発展させて)具現化された事に寄ってその祈りの気持ちが強くなる事もあるし、またそれとは逆に、時にはそれが心の中に”祈り”の気持ちが弱くなったとしても、形式化された身体の動きでその”祈り”が呼び覚まされることもある。』そういう行ったり来たりの行為自体、ダンスの行程に近いだろうし、普通の人の営みの上でも容易に想像がつく。さらに『それを経て精神的なものへの昇華につががるのではないか…』と。
それを前半のダンスでは2つのグループに分かれて対抗していく、二元的な構成で表現された。
『自分の筋力を頼って重力に逆らって律している(さらに発展させ)
→慣性の法則、自分の筋力にだけ頼るのではなく、他者に預けるという行為(さらに)
→身体さえも伴わない、祈りのフォームがないとどう動けるのか。。』
北川原さんの受けたお仕事で裏千家の”から手前”のための茶室の設計依頼があったというエピソードを聞く。私も詳しくないので、聞いた記憶で書き記すが、そのお茶室は”から手前”なのでお茶をたてても飲むことすらできないのだそう。
そこから、北川原さんはどういう設計をしたかというと針のむしろの上にガラスの床を敷いた設計をしたのだそう。人がお茶さえも飲まずに人と向かい合う厳しさ、それ故まるで魂だけがむき出されてしまったことに対する畏怖。。ちょっと大げさかもしれないけど、人は生まれたときから死に向かって生きている。でも、1部の二元的な考え方ではなく、それが黄金比の元の一つといわれるフィボナッチ数の螺旋のように、それら相反するものが自然に溶け込み、渦の中に巻き込まれていくように、人や物や生物全ての関わりを自然に感じて心に宿していくこと。2部のインプロはそんな螺旋のダンスの制作プロセスを垣間見ることができた。
そうはいっても、初めのダンスは少々動きが単調でダンサー同士が互いの動きを探りあい、ぎこちなさがちょっと見えると感じた。でもこれは当然の事で、後にkainさんからの説明を聞くと、実はコンセプトがあったのだそう。このインプロ自体はわざとラインダンス(だったっけかな?)という制約をダンサーに与えた踊りだった。なので、ダンサー自身もそうだし、見ている観客自体もフラストレーションがたまることは理解した上でのアプローチだったのだそう。しかし、最後の2回目にチャレンジしたインプロでは、その制約を解き放ち、各々が自由に踊って良いということになっていたそう。だから見ていて心地よかったのだ。
モノを作っていく過程ってこういうものだなと思う。初めからいいものは生まれないし、作業を何度もして試して失敗して習得しながらも、積み重ねてきた様々な要素をそぎ落としていって確信を得て完成させていくもので、表現する媒体は違ってもそのプロセスは本当に同じもの。
一緒に観ていたJhonnyちゃんが言ってくれたのだけど、私も他者との関わり方というところでは、この話と近い部分の考えで今までアーティストとのイベントを企画していた。なのでなんとなく自分のやってきたことの確信を得られた気がして、少し嬉しく思えた。
また、仲間とコラボレーションをすごくしたいし、私は絵を描きたいという感情がますます強くなっている。
ちなみにkalinさんからの説明によると、このラインダンスはダンサーの動きが直線的にだけ動かす事ができるという制約で、他のダンサーの動きに反射して能動的に動きを変化させていくことができる。あるダンサーが縦に動けば他のダンサーは一拍待ってから同じ縦に動くとか。また、何かのタイミングで少し動作を加える事が認められた時、例えばあるダンサーが何らかの音に反応して、手を振りかざした時、制約を受けていたダンサーも手を振りかざす動作だけは許可される。そういった連動された動きがあたかもコンセプチュアルな表現に見えてくる。それもまた、建築的な要素でもあるかもしれない。

*北川原さんコラムを見つけたので自分の参考の為にもリンクしておきます。
>>リアリティと概念