ウィリアム・フォーサイス、武道家・日野晃に会う
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いつも公私共々とてもお世話になっている、カリンちゃんから「これ、おもしろいよー」ということでお借りした本。
ウィリアム・フォーサイスは以前、フランクフルトバレエ団の芸術監督として就任していました。現在は新しくフォーサイス・カンパニーを設立し、活動しています。
→The Forsythe Company
私は彼がフランクフルトバレエ団に着任時の作品、「Artifact」ともう一つ(タイトル忘れちゃいました)を観ました。あまりこんな感情をうけることは無いんですが、はじめて観たとき、鳥肌が立つほどの感動したのをよく覚えています。いろんなものありのアートの中で、古典的な要素を基礎とし、高度なダンサーたちの動きとユニークな構成。特にあのときは会場の空間と、ダンサー達のバランスがすごく良かった。ものすごく天井の高い会場で、その空間や上部の間がある事によってさらにダイナミックな美しい表現が活かされていました。
さてこの本は、そんなフォーサイスが日本の武道家、日野さんという(57歳)と出会い、そのワークショップの内容を1冊の本にまとめたものです。武道とダンス、もちろん全くこれらの土壌は異なりますが、一部の動きをダンスに利用するという視点からではなく、純粋に「武道」にある身体性を通じて、動きが生まれる瞬間を体感していく。それを素直にフォーサイス、ダンサー達、そして日野さんがお互いにまるごと受け止めること。それにより、できた「つながり」を感じる事にお互いの可能性を発見し、やりとりされたというものです。
武道は生か死かという殺し合いの勝負です。日野さんは、いつ、どこで、だれが何をしてくるのかということに常に対応していくには、攻撃してくる相手に対して、自己主張し、強調させるのではなく、意識を同調させることと言っています。これは武道という行為と大きな矛盾をあたえる結論ですが、「対立をしない」という一つの答えを打ち出しています。
その「生と死」「人はなぜ生きるのか?」という、本来は最大の大きな謎のテーマ。それを普通に生活している私たちは、ともすればいつでも忘れることができるし、忘れたまま一生を終えることが当たり前のようなところもあります。というか、そんな事を考えても答えなんてないんだから、それこそそんなことばかり考えてる事自体、おかしいんじゃないの?なんて思うかもしれませんよね。
でも、そんな感性に近い作品を観る事があると、その気迫から生まれたものかなって感じるものには、とてつもなく大きな、言いようもない強さがあるんですよね。なんか大げさに言うと、宇宙的エネルギーというのかな…。
以前読んだ本でサルトルの実存主義の事が少し頭に浮かびました。「人は自由な個人である。その自由の為に自分で何もかも決めるように死ぬまで運命づけられている。どんな決断をするか、どんな選択をするかがとてつもない重みを持ってくる。自分のした事の責任から絶対に逃れられない。かといって、人格や個性を失った大衆の一人になってしまうという事は自分で自分を騙す事になる。でも、人間の自由は黙ってはいない。自分自身で何かをするよう、真に実存して本物の人生を送るよう強いている…。」
とはいえ、時にはこんな厳しいリアルな現実を私たちは強いられているのなら、なぜ?なのでしょう。こんな言語化できないその一つの答えが日野先生の言葉にあるんじゃないかと思いました。…「感じて、意識し、同調し、つながること。」それをまた「感じる」(循環による)事で、時間もかけ、こういう「関係」が構築されて、はじめてとても大きな、ちょっと大げさに言うと、宇宙的ななんともいえない、情(愛といっても良いのかもしれません)を認知させられる事(例えば、生かされているのだという実感とか)なのではないかな…と思ってしまいました。