6/12 ピナ・バウシュの「私と踊って」を観に行った。(新宿文化センターにて)
数ヶ月前にこのピナの追悼公演のチケットを購入していたので、久しぶりにダンスを観た。
全1幕で構成されたこの珍しい舞台は、白くステージ一杯に広がる巨大な滑り台のような舞台装置が中央に配置され、根っこの付いている白樺の木が何本も置かれている。
女と男という人間関係、群衆と排他された一人の人、愛や憎悪、身体的、肉体的暴力、叫びや怒鳴り声、媚びに命令と服従、すれ違い。。言葉にすることができない微妙な感情や感覚を身体や舞台、リュートの伴奏による古いドイツ民謡の歌と音楽、その全体の状況で「愛と死」が追求される。
時々ドキッとするような暴力的に感じるシーンや音があり、ハラハラして引き込まれてしまう。でも、だからといって苦しいほどの重さというものはあまり感じないかもしれない。
最後にやっと女は男とダンスを踊ることができたからかな。
私はまだ3、4作ぐらいしかピナ作品を観ていないけど、彼女のも従来のイメージのダンスとはだいぶ様相が違う。ダンスダンスしていないというか。。すごく原始的な普通の動きが多い。だけど、ダンサーは毎日バレエの練習は欠かさないのだと言う。だからかな、何でもない動きだけど、やっぱりキレイだ。
ダンスは時間を使って様々な要素をみることができるが、時には演劇に近い雰囲気があったりするものも多い。そのバランスで絶妙な感情や動きがなぜか惹き付けられてしまう。
カタログに書いてあったのだけど、ピナがこのヴッパタール舞踊団の芸術監督を就任した当初は、内部でもめて一時作品作りも危ぶまれたのだとか。。
そのとき、一時的に避難したような形で一部のダンサー達と別の場所を確保し、作品作りをしていたそうだ。このときにピナはダンサーたちと理解しあうためにも、根気よく長い時間をかけてたくさんの質疑を繰り返し、振り付けを構成していったのだそう。
非常に個人的な概念から出発し、創り上げて行くことによって、自然に普遍的なものになってるのだろう。
もし、ピナの作品を踊るダンサーが何らかの事情で変わることになるとする時、その作品はしばらく上演しないか、もしくは代わりに踊るダンサーが10作品以上のピナの作品を踊りきるぐらいになるまで、自分のモノとなり身体にとけ込んできたら、その作品を上演することになるのだそう。
だから、舞台には嘘がないのだろう。表面的に取り繕っているところがみじんもないのだから。
偉大なアーティスト、ピナがもう亡くなってしまったというのが私も本当に悲しい。。今後もヴッパタール舞踊団でピナ作品を上演し続けてほしいし、できるだけたくさん観続けていきたい。