
今日ものんびりと良い一日だった。
お気に入りの場所(ロフト側の小さな屋上)で、ご機嫌なサウンドと夕日を見ながら、自分で漬けたぬか漬けのきゅうり(これ大事!)とビールでクッと一杯。
そんな時間、とある美術作家の回顧展カタログに書いてあったことばを思い出す。ここに引用する。
「…風景や自然を見る眼差しもどこかで裏切られている部分があるわけです。山を見たり、海を見たり空を見たりしても孤立無援ですよ。」
はたまた対照的に、風景写真家の先生のblogに書いてあったことばも。。
「穏やかな山は誰にでも平等に優しさを分けてくれる。」(blogより引用)
一方は自然に対して孤独を感じ、もう一方は共有を感じている。
どちらに対して賛否をということではない。あたりまえだけど、ある対象に対して人の感じ方は無数なのだから。
とはいえ、私はこの美術作家のことばにすごく衝撃を受けた。
この作家は以前、BankArtで回顧展をし感想を書いたことがあるのだけど、私が通っていた美術研究所に講師としていた方でもある。
作品はとても美しく、そして非常に厳しいものだ。。
だから、私はこの人の作品をみると自問自答して緊張するし、だんだん顔が険しくなってしまう。
でもだからこそ、こうしてのんびりと過ごせる時間を持てる時、こういう緊張感は非常に大事だと思う。
写真の先生の言葉のように心に暖かいものをいつも感じつつも、自分の中のどこかはシビアに物事を見ていきたい。
造り手は常に多様な感覚を磨いていかなければ、本当に『造ること』ができない。
もっと感じて学んである意味修行していかなくちゃ。